想い?そりゃ、ありますよ。


台湾の映画監督エドワード・ヤン死去

「クーリンチェ〜」は吉祥寺のファーストキッチンの上のビデオ屋にあるから、観てない人は借りなさい。
なかなか新作の音沙汰がないなぁとは思ってたのですが、闘病生活にあったのですね‥‥。

僕自身、作家の死で涙し、落ち込むことは初めてでして、これは参るなぁ‥参る‥。

なんでもいい、お書きなさい。

こんな小説を読んだのはいつぶりだろうか? 厭世的な気分の皆さんへお勧め必読の一冊、是非!

ナンバーワン・コンストラクション

ナンバーワン・コンストラクション

建築史家の若手教授、彼に弟子入りする小説家志望の青年、教授が片思いの愛を捧げる少女、少女を残酷に支配する婚約者の美青年。現代の都市の話題の建築を舞台に、交わされる、永遠、生と死、愛、芸術を巡る会話。男と女、男と男、意表をつく展開を遂げる恋愛関係。人間が生きるための空間、建築、その新たな可能性を探し、現代の絶望に立ち向かう、若き新鋭の画期的長編。(帯より)

ついでにブックオフにて六〇〇〇度の愛105円購入、Lucky!

私、17歳、死んじゃった!

東京上空いらっしゃいませ [DVD]

東京上空いらっしゃいませ [DVD]

僕たちにとっての牧瀬里穂は、僕らの記憶の中の、あの日、あのときの、あの人に違いない。今、現在、あの人は歳をとっているとか死んでしまったとか、そんなのは関係ない。僕らの中に生き続けるのは今、現在のあの人ではなく、あの日、あのときの、あの人なのだから。

牧瀬里穂ツンツンぶりや、がに股っぷりがずば抜けてよい。「台風クラブ」とともに相米慎二青春モノの傑作。
何度観ても屋形船の上のシーンは切なくなり、牧瀬が段ボールロボットで会社に乗り込むシーンはワクワクする。

皆が皆、知る必要はない。

悪人

悪人


 久しぶりに小説を一気通読、吉田修一では一番好きな「破片」とはスケールが違うので比較はできないけど、やはり吉田の群像モノは面白い。

ただ残念な箇所が一点、物語中、ある登場人物らが逃亡生活を送る、彼らは携帯電話をもっていて、警察は彼らの居場所を特定できず、手がかりは専ら目撃情報だけなんて、まぁありえない。携帯を使おうが、使わまいが、電源を入れていようが、切っていようがそんなことは関係なく、携帯電話を持っている、ただそれだけでその位置情報を携帯会社→警察は特定できるわけで(ましてや殺人事件ともなればなおさら、即確保)、つまり携帯電話を持っての逃亡劇というドラマは成り立たない。がしかしそれを割り引いても、携帯電話がなければ出会っていなかったかもしれない人々や、携帯電話がなくても出会っていたであろう人々が、出会い、シビレあい、別れる。あるいは、産まれて、生きて、死ぬ。というダイナミズムに感動する。

携帯電話が映画や小説の「ドラマ」を奪って久しいが、それはつまり我々の生活からも予測不可能な「ドラマ」が失われているということであって、その失われていく「ドラマ」が携帯電話を捨てて田舎で暮らそう的予定調和な「ドラマ」であれば何の問題もないのだが、そうではなく、むしろ逆にそういうものが増えていて、それは昨今の「フラガール」を筆頭としたノスタル邦画全般にもいえている。情報化社会、つまり過剰に便利さが追求される現代では「ドラマ」を作ることが難しい、ならば単純にそれらがなかった時代、不便な時代を舞台にした物語をつくればいい、という安易さが、予定調和な「ドラマ」を招いてしまっていて、過便利な現在からフラダンスをみてもあまりシビレない。確かに映画はよくできているが、観終わって何の情感も残らない、それなら「北の国から」か角川映画でも観とくわ、となる。個人的にノスタルジックな青春群像劇は割と、いや結構好きなのだが、「フラガール」には決定的に「現在からあの時代を考察する」という視座、つまり監督の視座が欠けている、ただ昔を懐かしんで終わり、泣けるけど、くだらない。


携帯電話という便利すぎるテクノロジーがあるから「ドラマ」が作れない。のではなく、携帯電話という便利すぎるテクノロジーがあるがゆえに起こる予測不可能な「ドラマ」を作り出す。あくまで断固現在的視座、それが唯一の「現代」作家の存在意義である。
 




映画もそれなりに結構観ているのだけどなかなか批評云々という作がない、のか自分の生活にメリハリがないから批評ができないのか・・・もうちょっとマメに更新するようにしよう。

そろそろ

皆さんご無沙汰です、ご心配をかけました、唐突に再開です。

いや〜面白い。たぶん巷ではホラー扱いになってると思うんですが、これはホラーとか、もうそんなレベルじゃない。後半はもう「スゲースゲー」の目白押し。追手から逃げる一連のシーンの怒濤の攻めは「映画作りて〜!」となる。言葉にできないくらい映画を観て高揚したのは久しぶり、脚本も演出も完璧。皆さん是非この「HOSTEL」を観て、それでも良さがわからない人は、僕がすべてを教えましょう。

アムステルダムに行くような人間をターゲットにすることのリアルさ、世界格差のルサンチマンゆえアメリカ人の値が高いことのリアルさ。だからラスト、男が思いっきり便所のドアに頭をぶつけるリアルさを笑える、ホラーなのに笑える。