バイバイ哀愁でいと
昨今のノスタルジーブームにいまいち僕が乗り切れないのは、ノスタることを目的として作られた映画よりも、その当時の作品を観たほうが圧倒的に哀しいからで、いやそれをいったら元も子もないよと言われるは承知なのだが・・「北の国から」TVドラマシリーズを10何年振りに再見するにあたり、画面の細部にあの頃の記憶や感情を次々と思い出してしまうわけで、純の着ている服のデザインや雪子叔母さん(竹下景子)の山口百恵風ヘアスタイルなど記号論的「あの頃」もさることながら、あの頃の地方家族の食卓における侘しさの表現なんかはもう圧倒的哀愁で第4話「手紙」で五郎が母からの手紙を燃やしたことを吐露するシーンのあの重い感じは僕の個人的体験とあいまって喪失感なしでは到底見れない、と「北の〜」における個人的再体験はひとまず置きぎみにして(とは言っても個人的な憧憬の探索に過ぎず・・)ではなぜ78年4歳〜81年7歳の頃のおぼろげな記憶、幻のような記憶の時代を僕がひときわ懐かしく想うのかといえばそれは喪失感に他ならないわけで、つまりあの頃にあって、今はもうないものに対する憧憬、そのほとんどはベストテン的歌謡曲に対する憧憬のように一瞬見紛うのだが、それは曲そのものというよりもむしろ、その番組やその曲とともにある感情や記憶だったりするのでつまりそれは隠された記憶への憧憬だったりする・・。
ほんとは「北の国から」からみる社会の変節、カッペにとっての70年代論風なことを書こうと思って書き始めたのだけどまとまってないのでやめときます。
いわゆる昭和の歌謡曲は70年代後半から80年代前半にかけて徐々に消えていきます、前川清や八代亜紀が「孤独」を歌いレコードが売れヒットチャートの上位に位置する状況は松田聖子やたのきんトリオが歌うアイドル歌謡へと取って代わっていくわけですが、70〜80はその昭和歌謡とアイドル歌謡がごちゃ混ぜになった面白い時代でもあったはずです。*1そのあいまいな記憶を思い出す作業と同時に続きはまたボチボチと書くことにします。